引っ越しました→http://tudumeta.blog.fc2.com/
私はヒットポイントが少ない。なんか常に表示が黄色い(DQ的な感じで)
隙を見せると途端にヘルペス菌が暴れて炎症おこすのをどうにかしたい。体力とか女子力とか免疫力とか集中力とか、基本的にあらゆる力が足りてない。力が…欲しいか…?
元ネタを知らないフレーズを聞きかじった程度で使うのが悪い癖です。
とりあえず空さん読んだどー!!(もちろん三月売りのブレイドです)
なんか一月遅れがデフォルトになっているような。
プラトンイン壊れた炊飯ジャー。
最後に空を見せてあげるとか、空さんいい子だなあ。発想が本当に可愛いなあ。
美術部を諦めた夕ちゃんがなんか流されたまま放送部へ。
顧問の先生がいいキャラです。
捨てられる辞書と本。
チシキのチリの中にチッキョしていても、ウチュウのヒミツをチシツすることはできない
意味を持たない音は「言葉」じゃないから、最初この文はただの音。
漠然とした世界を可視化するのが「言葉」たち。
辞書の言葉を全て使いきって捨てることは不可能で、それを言ったらたぶん新聞一部すら捨てられなくなるだろうな。
知識はそれこそ無限に近くて、一人の人間が得られるのはそのほんの一部。
それでも私たちにとってはそのほんの一部が全て。実際そうするしか術がないから仕方ない。
だから、自分は目の前の現実のあるがままを受容しているようでも、結局はその一部を選んでる。
一枚絵を見たとしても、一冊本を読んだとしても、全部を記憶し、あらゆる解釈をし尽くすなんて大多数には出来てるはずはなく、各々が注目したいものに注目して、残りはなかったことになってる。
辞書で引かない言葉は一生知らないままで、好んで引く言葉や引くまでもなく使う言葉があるように。
世界が実際どうであれ、見たいものしか見えないし、考えた通りの行動をとるし、口にした言葉に従って自分を形作ってしまうわけで。
私には○○がない、とかも、結局は自分でそう思いたいというか、選り好みしているのだろうなあ。
我輩の辞書に不可能という言葉はない…とは偉人の言とされてますが、あらゆる辞書に眠ってる使いきれない言葉の中には、不可能も可能も、幸も不幸も、怒りも悲しみも喜びも楽しみも、全部平等に存在するはずだ。
けれども、あるはずの不可能という言葉を「不可能はない」と言い切る人がいるように、「可能」を信じられない人もまたいるわけで。
やはり信じたことを裏付けるようなものしか見えなくなっちゃうのかなと思う。
気分が落ち込んでいるときは、「私はダメだ」「私には出来ない」とダメな理由を千あげてそれを立証しようとするけれど、ものすごく客観的になればダメじゃない部分も出来ることも同じ数だけあげられるものです。
本当なら「大丈夫」と思えることも悲観的になって否定したくなるのは、結局自分が「ダメであって欲しい」と思ってるだけなのだ…と思います。
夕ちゃんが最初に放送関係の本を捨てようとしたのは、そこに書いてある「可能性」の部分を見ないふりして、「出来ない理由」の項目ばかりを引いたから。
結局人は憧れや夢を諦める理由を探してるのかなー、と思わなくないです。自分を含めて。
壊れてしまった炊飯ジャーの上にも常に空は広がっていたはずだけれど、きっと空さんが連れ出さなかったら、炊飯ジャーの辞書には「そら」という言葉はないままでしたね。存在するはずなのに見えないものを見つけるためには、他人という存在が絶対必要なのだな。
…と思うので、部屋に閉じ籠るな、外に出よう!と思うと同時に、体力ねえし、疲れた、もう無理、人見知りだし、一人が落ち着くよ、みたいなインドア不健康な単語の連なりを打ち消したい。
実際にそういうダウナーで虚弱な自分が存在する以上、それは仕方ないとして、それ以上にネガティブを打ち消す言葉を選びたいものです。
疲れた自分を見ないふり、じゃなくて、回復する自分を見つけるといか。
なんか今回はあまり感想になってないかなー。
そういえば「二種類の呼吸」で思ったのですが、作品を読んで感動して、息を吸ってばかりだった私が、実際に作者の前に立って何かしら言葉を返したというのがいまだに不思議体験です。
自分の放った言葉が誰かの鼓膜を震わして、他人の一部になるなんて。
よくよく考えたら恐ろしいことだなあ。
思考回路そのままにしか書けない性分は相変わらずなので最近なんか筆が鈍い。頭も鈍い…って、早速またネガティブワードだ。
鈍いなら磨げばいいし、鈍いから耐えられることもあるんだぜ!!
あ、あと拍手ありがとうございます!有り難く拝見してます!
隙を見せると途端にヘルペス菌が暴れて炎症おこすのをどうにかしたい。体力とか女子力とか免疫力とか集中力とか、基本的にあらゆる力が足りてない。力が…欲しいか…?
元ネタを知らないフレーズを聞きかじった程度で使うのが悪い癖です。
とりあえず空さん読んだどー!!(もちろん三月売りのブレイドです)
なんか一月遅れがデフォルトになっているような。
プラトンイン壊れた炊飯ジャー。
最後に空を見せてあげるとか、空さんいい子だなあ。発想が本当に可愛いなあ。
美術部を諦めた夕ちゃんがなんか流されたまま放送部へ。
顧問の先生がいいキャラです。
捨てられる辞書と本。
チシキのチリの中にチッキョしていても、ウチュウのヒミツをチシツすることはできない
意味を持たない音は「言葉」じゃないから、最初この文はただの音。
漠然とした世界を可視化するのが「言葉」たち。
辞書の言葉を全て使いきって捨てることは不可能で、それを言ったらたぶん新聞一部すら捨てられなくなるだろうな。
知識はそれこそ無限に近くて、一人の人間が得られるのはそのほんの一部。
それでも私たちにとってはそのほんの一部が全て。実際そうするしか術がないから仕方ない。
だから、自分は目の前の現実のあるがままを受容しているようでも、結局はその一部を選んでる。
一枚絵を見たとしても、一冊本を読んだとしても、全部を記憶し、あらゆる解釈をし尽くすなんて大多数には出来てるはずはなく、各々が注目したいものに注目して、残りはなかったことになってる。
辞書で引かない言葉は一生知らないままで、好んで引く言葉や引くまでもなく使う言葉があるように。
世界が実際どうであれ、見たいものしか見えないし、考えた通りの行動をとるし、口にした言葉に従って自分を形作ってしまうわけで。
私には○○がない、とかも、結局は自分でそう思いたいというか、選り好みしているのだろうなあ。
我輩の辞書に不可能という言葉はない…とは偉人の言とされてますが、あらゆる辞書に眠ってる使いきれない言葉の中には、不可能も可能も、幸も不幸も、怒りも悲しみも喜びも楽しみも、全部平等に存在するはずだ。
けれども、あるはずの不可能という言葉を「不可能はない」と言い切る人がいるように、「可能」を信じられない人もまたいるわけで。
やはり信じたことを裏付けるようなものしか見えなくなっちゃうのかなと思う。
気分が落ち込んでいるときは、「私はダメだ」「私には出来ない」とダメな理由を千あげてそれを立証しようとするけれど、ものすごく客観的になればダメじゃない部分も出来ることも同じ数だけあげられるものです。
本当なら「大丈夫」と思えることも悲観的になって否定したくなるのは、結局自分が「ダメであって欲しい」と思ってるだけなのだ…と思います。
夕ちゃんが最初に放送関係の本を捨てようとしたのは、そこに書いてある「可能性」の部分を見ないふりして、「出来ない理由」の項目ばかりを引いたから。
結局人は憧れや夢を諦める理由を探してるのかなー、と思わなくないです。自分を含めて。
壊れてしまった炊飯ジャーの上にも常に空は広がっていたはずだけれど、きっと空さんが連れ出さなかったら、炊飯ジャーの辞書には「そら」という言葉はないままでしたね。存在するはずなのに見えないものを見つけるためには、他人という存在が絶対必要なのだな。
…と思うので、部屋に閉じ籠るな、外に出よう!と思うと同時に、体力ねえし、疲れた、もう無理、人見知りだし、一人が落ち着くよ、みたいなインドア不健康な単語の連なりを打ち消したい。
実際にそういうダウナーで虚弱な自分が存在する以上、それは仕方ないとして、それ以上にネガティブを打ち消す言葉を選びたいものです。
疲れた自分を見ないふり、じゃなくて、回復する自分を見つけるといか。
なんか今回はあまり感想になってないかなー。
そういえば「二種類の呼吸」で思ったのですが、作品を読んで感動して、息を吸ってばかりだった私が、実際に作者の前に立って何かしら言葉を返したというのがいまだに不思議体験です。
自分の放った言葉が誰かの鼓膜を震わして、他人の一部になるなんて。
よくよく考えたら恐ろしいことだなあ。
思考回路そのままにしか書けない性分は相変わらずなので最近なんか筆が鈍い。頭も鈍い…って、早速またネガティブワードだ。
鈍いなら磨げばいいし、鈍いから耐えられることもあるんだぜ!!
あ、あと拍手ありがとうございます!有り難く拝見してます!
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