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5月も終わりかけですね!!
つ、月一感想すらおっつかなくなるとは…常にフリーズとか強制終了してる低スペックPC的な人間です。
それではさっそく淡々と感想を。
つ、月一感想すらおっつかなくなるとは…常にフリーズとか強制終了してる低スペックPC的な人間です。
それではさっそく淡々と感想を。
海を臨んで通学とは懐かしい&うらやましい。
そんなわけでみたび夕ちゃん登場です。
さらにまさかの空さんが鍵開け職人デビュー…かと思いきや、
拾った鍵に合う扉を探しているとのことです。かわええ。
自分のためのパーティという発想が小学生らしくてかわええ。
想像でのおめかし姿かわええ。でかリボンかわぇぇぇ。
あとあのうさぎが!!ニンジンが武器の奴が!!
なんだか月に一回必ずもだえている気がします。マジ空さん恐るべし。
「下界に行く」と「エーゲ海」…プラトンの聞き間違いにも磨きがかかって、もう立派なギリシャの住人ですね。
……となるのは彼くらいなもので、夕ちゃんはこの土地を「四方を山に囲まれた箱の底」と表します。
世界は自転車の車輪ふたつで完結してる、と思うこと。
中央の人たちと、自分の世界が繋がっている実感がないということ。
ここら辺自分の感覚とダブりすぎてう、うぉぉぉぉっとなりました。
たな先生ぱねぇー
ただ、同じように海を見てほっとするのは同じだけど、方向は二通りに分かれるんだなーと思いました。
個人的な話で恐縮ですが、私の高校は「廊下に出る=海が見える」という立地で、海は珍しいものじゃなかった。
むしろ水平線は「お前の世界はここまでだ」という境界線に見えましたし、それに不満もなかった。
だから、タビ連載時は、「この海に看取られ人生を終える」とのたまうカノコにどえらい共感をした覚えがあります。「距離を求める公式で、速さを才能に、時間を頭に置き換えると、その人間がこれから行くことの出来る距離が出せる気がした」とかも。
夕ちゃんは水平線の向こうに自分の世界があるかもしれないと思い、
カノコは水平線(もしくは山の稜線)までが自分の世界なのだと悟った。
水平線を 「可能性」とみるか、「限界」とみるか、人によりけりなんだろうなー。
ただ、現状に不満がある人と、今に満足して心穏やかな人と
足りない何かを求める人と、単に向上心がない人と
その境目ってなんでしょうかね。
「ああここから眺める海は本当に綺麗だな」と
「ああつまらん、海の向こうに行きたい!」だったら、
エネルギー消費してるのは明らかに後者だけども、
そういう人が新しい大陸を発見してくれたりするんですよね。
まあ、そこで暴虐の限りを尽くしたりもするんですけどね。
それはさて置いて。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、これは単なる個体差みたいなものだと思うんだ。
人類が移動するときに、「俺はここに残るぜ」って奴がいないと
今みたいに人間が分布することはなかったって誰かも言ってたし。
きっと開拓向きの遺伝子と、根をはりやすい遺伝子があるんだろうな。
だからカノコみたいに「私の魂はこの海に根付いているのだ」って思うのも、間違いじゃ…ないと…思うんだ!!思うんだよ!!!
なんで私はこんなに必死なんだ。
はい、今まで以上に意味のわからん文になったていうか感想じゃないので戻します。
そんなこんなで、開拓者向きの夕ちゃんは空さんに触発されて、見事に不法侵入を果たしましたとさ。
侵入された側なのに先に驚かれて「わーーー!?」って疑問符つけちゃう神さま可愛いよ神さま。
さらにお茶も出しちゃう神さまいい人だね神さまなのに人がいいとか妙な語感。
ということで「私が神だ」と、ちょっと懐かしいネタをやらかしそうになった神さま。
とうとう改名ですね。
…って本名を名乗ればええやんかぁぁぁぁ!!!!と思ったのは私だけだろうか。
いやだから、たな作品なんだし明かされなくても全然平気なんですけども。
思いやりとか、形式美的ツッコミってのもあるのよ。
つか何か名乗れない過去でもあるん…?
過去の話をすると一気にどよーんとなる神さ…おっと、カニカマ?
水平線だと思ってた場所にたどり着いても
そこはもう水平線じゃなくて
その先にまた新しい水平線が見えてきてきりがない
あの頃の自分に言いたいよ
いくら憧れたって
どこに行ったって
ダメな自分は一緒だよって
(ノД`)・゜・ ヤメテー
息するように心をえぐってきます。本当はエスなんですね、分かります。
しかし、夕ちゃんを泣かすとはカニカマ、もはやただのプレーンかまぼこや!!11ミリに切られてまえー!!
……っと思ったら、分厚い本がおでこにヒットという想定以上の制裁受けてたので、まあいいか。
本の作者名がわざわざ書いてあるのが意味ありげな感じ?
返す時に夕ちゃん神さまでもうひと絡みあるといいです。
ってか言い忘れてたけどこの二人並ぶと見た目かぶってる気が…。
空さんに言わせても、鍵はすでに開いていて、「特別な場所」は今いる場所だった。
だから、どこにいたって一緒だよ。
私の居場所はここしかないんだって――
そんなの認めない!!!
ヤダ男らしい。ぼたん思い出した。
さすが空さんのイトコというか、夕ちゃんは練り物なぞに負けない精神の持ち主です。
空さんはさっき言った「ここから眺める海ってこんなに綺麗なんだね!!」派でプラトンは「この海を越えてギリシャに行きたい!!」と思う派。
通じるものがあるのでしょうか、プラトンには夕ちゃんの自転車が刻む轍がご主人が行きたいと目指した水平線に見えたそう。
だから「めいだい6:ちへいせん」なんですね。
最初誤植か何かと思ったのは秘密だよ。
水平線の向こうに水平線、延々続く水平線。終わりなんて見えやしない…
ただ、それを繰り返さなきゃ人間は地球が丸いことに気づかなかったんじゃぁなかろうか。
そもそもたどりつける水平線って、天動説のまっ平らな大地の話で、
言わば終着点、たどりついたら世界の果てだ。
ぐるっと地球を一周してからここへ帰って来た方が、
引いた線の分だけ好きになるってことかなぁ。
せっかく地動説の世界に生きてるなら。
哲学者ならコペルニクス的転回をだね!!
あっよく分からない単語使うのはやめとく!
今ある幸せに気づける人は気づいて幸せになればいいんだろうし
現状に満足してるなら心穏やかに生きていけるし
結局どこにも行けない、と行く前にさらっと諦められる人は諦めりゃいい。
ただどれだけの人間が自分の能力・才能・可能性を正しく認識してるのかって話で、
自分の「無理、出来ない」「出来る、やれる」なんて信憑性も客観性も皆無なんだから
大人しく実行して失敗して学んで賢くなんなさいってのが結論でしょうか。
舞台装飾や書割を遠くから傍観決め込んで眺めてないで、お前も役者なんだから
実際に舞台に上がってみやがれこんにゃろーってことかしら。
最後の名文の解釈原作読んでないから間違ってるかもしらんですが、
人生を演劇に喩えるってのはツキコさんやニシムラさんも言ってたし、こんなんでいいか。
(てか最初書割がなんなのか分からなかった。舞台の背景とかで使うはりぼてってこと…?)
おお相変わらず長い長い。
さて、来月は出来るだけ早くお会いしたいものです。それではー!
そんなわけでみたび夕ちゃん登場です。
さらにまさかの空さんが鍵開け職人デビュー…かと思いきや、
拾った鍵に合う扉を探しているとのことです。かわええ。
自分のためのパーティという発想が小学生らしくてかわええ。
想像でのおめかし姿かわええ。でかリボンかわぇぇぇ。
あとあのうさぎが!!ニンジンが武器の奴が!!
なんだか月に一回必ずもだえている気がします。マジ空さん恐るべし。
「下界に行く」と「エーゲ海」…プラトンの聞き間違いにも磨きがかかって、もう立派なギリシャの住人ですね。
……となるのは彼くらいなもので、夕ちゃんはこの土地を「四方を山に囲まれた箱の底」と表します。
世界は自転車の車輪ふたつで完結してる、と思うこと。
中央の人たちと、自分の世界が繋がっている実感がないということ。
ここら辺自分の感覚とダブりすぎてう、うぉぉぉぉっとなりました。
たな先生ぱねぇー
ただ、同じように海を見てほっとするのは同じだけど、方向は二通りに分かれるんだなーと思いました。
個人的な話で恐縮ですが、私の高校は「廊下に出る=海が見える」という立地で、海は珍しいものじゃなかった。
むしろ水平線は「お前の世界はここまでだ」という境界線に見えましたし、それに不満もなかった。
だから、タビ連載時は、「この海に看取られ人生を終える」とのたまうカノコにどえらい共感をした覚えがあります。「距離を求める公式で、速さを才能に、時間を頭に置き換えると、その人間がこれから行くことの出来る距離が出せる気がした」とかも。
夕ちゃんは水平線の向こうに自分の世界があるかもしれないと思い、
カノコは水平線(もしくは山の稜線)までが自分の世界なのだと悟った。
水平線を 「可能性」とみるか、「限界」とみるか、人によりけりなんだろうなー。
ただ、現状に不満がある人と、今に満足して心穏やかな人と
足りない何かを求める人と、単に向上心がない人と
その境目ってなんでしょうかね。
「ああここから眺める海は本当に綺麗だな」と
「ああつまらん、海の向こうに行きたい!」だったら、
エネルギー消費してるのは明らかに後者だけども、
そういう人が新しい大陸を発見してくれたりするんですよね。
まあ、そこで暴虐の限りを尽くしたりもするんですけどね。
それはさて置いて。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、これは単なる個体差みたいなものだと思うんだ。
人類が移動するときに、「俺はここに残るぜ」って奴がいないと
今みたいに人間が分布することはなかったって誰かも言ってたし。
きっと開拓向きの遺伝子と、根をはりやすい遺伝子があるんだろうな。
だからカノコみたいに「私の魂はこの海に根付いているのだ」って思うのも、間違いじゃ…ないと…思うんだ!!思うんだよ!!!
なんで私はこんなに必死なんだ。
はい、今まで以上に意味のわからん文になったていうか感想じゃないので戻します。
そんなこんなで、開拓者向きの夕ちゃんは空さんに触発されて、見事に不法侵入を果たしましたとさ。
侵入された側なのに先に驚かれて「わーーー!?」って疑問符つけちゃう神さま可愛いよ神さま。
さらにお茶も出しちゃう神さまいい人だね神さまなのに人がいいとか妙な語感。
ということで「私が神だ」と、ちょっと懐かしいネタをやらかしそうになった神さま。
とうとう改名ですね。
…って本名を名乗ればええやんかぁぁぁぁ!!!!と思ったのは私だけだろうか。
いやだから、たな作品なんだし明かされなくても全然平気なんですけども。
思いやりとか、形式美的ツッコミってのもあるのよ。
つか何か名乗れない過去でもあるん…?
過去の話をすると一気にどよーんとなる神さ…おっと、カニカマ?
水平線だと思ってた場所にたどり着いても
そこはもう水平線じゃなくて
その先にまた新しい水平線が見えてきてきりがない
あの頃の自分に言いたいよ
いくら憧れたって
どこに行ったって
ダメな自分は一緒だよって
(ノД`)・゜・ ヤメテー
息するように心をえぐってきます。本当はエスなんですね、分かります。
しかし、夕ちゃんを泣かすとはカニカマ、もはやただのプレーンかまぼこや!!11ミリに切られてまえー!!
……っと思ったら、分厚い本がおでこにヒットという想定以上の制裁受けてたので、まあいいか。
本の作者名がわざわざ書いてあるのが意味ありげな感じ?
返す時に夕ちゃん神さまでもうひと絡みあるといいです。
ってか言い忘れてたけどこの二人並ぶと見た目かぶってる気が…。
空さんに言わせても、鍵はすでに開いていて、「特別な場所」は今いる場所だった。
だから、どこにいたって一緒だよ。
私の居場所はここしかないんだって――
そんなの認めない!!!
ヤダ男らしい。ぼたん思い出した。
さすが空さんのイトコというか、夕ちゃんは練り物なぞに負けない精神の持ち主です。
空さんはさっき言った「ここから眺める海ってこんなに綺麗なんだね!!」派でプラトンは「この海を越えてギリシャに行きたい!!」と思う派。
通じるものがあるのでしょうか、プラトンには夕ちゃんの自転車が刻む轍がご主人が行きたいと目指した水平線に見えたそう。
だから「めいだい6:ちへいせん」なんですね。
最初誤植か何かと思ったのは秘密だよ。
水平線の向こうに水平線、延々続く水平線。終わりなんて見えやしない…
ただ、それを繰り返さなきゃ人間は地球が丸いことに気づかなかったんじゃぁなかろうか。
そもそもたどりつける水平線って、天動説のまっ平らな大地の話で、
言わば終着点、たどりついたら世界の果てだ。
ぐるっと地球を一周してからここへ帰って来た方が、
引いた線の分だけ好きになるってことかなぁ。
せっかく地動説の世界に生きてるなら。
哲学者ならコペルニクス的転回をだね!!
あっよく分からない単語使うのはやめとく!
今ある幸せに気づける人は気づいて幸せになればいいんだろうし
現状に満足してるなら心穏やかに生きていけるし
結局どこにも行けない、と行く前にさらっと諦められる人は諦めりゃいい。
ただどれだけの人間が自分の能力・才能・可能性を正しく認識してるのかって話で、
自分の「無理、出来ない」「出来る、やれる」なんて信憑性も客観性も皆無なんだから
大人しく実行して失敗して学んで賢くなんなさいってのが結論でしょうか。
舞台装飾や書割を遠くから傍観決め込んで眺めてないで、お前も役者なんだから
実際に舞台に上がってみやがれこんにゃろーってことかしら。
最後の名文の解釈原作読んでないから間違ってるかもしらんですが、
人生を演劇に喩えるってのはツキコさんやニシムラさんも言ってたし、こんなんでいいか。
(てか最初書割がなんなのか分からなかった。舞台の背景とかで使うはりぼてってこと…?)
おお相変わらず長い長い。
さて、来月は出来るだけ早くお会いしたいものです。それではー!
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